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雪 子供 若者 新潟 昭和 時代

降る雪や 明治は 遠くなりにけり


ご存知中村草田男氏の俳句です。


YAHOO!の知恵袋には
こんなことが書いてありました。


「これがなぜ名句とされているのか教えてください。
 だいたい俳句ってのは基準がわからない。
 本当に最大多数の人がよいと思うであろうものを絶賛してるものなのかね?」


?に対してはその通りなのだろうと思います。
ひとことで言えば共感できる感性と表現技術の問題なのですから。


例えば、いま私は新潟にいますが今日、
今シーズン初めて繁華街に雪がうっすらと積もってきたところを
雪をキュッキュッと踏みしめながら帰ってきました。


新潟に20年以上居ますがこんな遅い雪は初めてです。
句を変えて失礼しますが


降る雪や 昭和は 遠くなりにけり
降る雪や 新潟は 遠くなりにけり


と思い思い帰ってきた私です。
何の感性も持ち合わせていない私ですら地球の温暖化を感じて
こんな句を頭に浮かべています。


昭和にも新潟にも「雪」の降りかたが変わってきたことを
勝手に表わした思いです。


たぶん新潟に居住の方々は「句」は別にしても
ご理解頂けるものと思います。


一方、新潟ではいまだに昭和30年代の
木の電柱、白熱電灯、トタン傘を意図的に残している地域があり、
私は好んで時々ドライブして旅愁にひたることがあります。


旅は 空間だけではないと思います。
ときは百代の過客にして・・・云々という有名な言もあります。


しかし、芭蕉の感性は現代では育たないでしょう。


芭蕉まで研ぎ澄まされたものである必要はないでしょうが
現代そういった感性の発露を阻むものを
見据えておくのには意味があると思います。


私が勝手に思っていること。


それは都市とコンクリートとビジネスと数字。


私達ヒトを含めた自然を「対象」としてだけ見るのだけではなく
「感じる」ということを大切に感じることが大事。


科学の最先端で説かれていることが、
経済や実利的な生き方を優先するため、
殆ど伝えられてきていません。


社会の皺寄せというか縮図というか
教育現場ですら学ぶ姿勢や感じる姿勢を
若者達から奪っていると言った方がいいかもしれません。


まして視聴率至上主義のマスコミが無頓着であるのは
言うまでもありません。(40〜50前半の方の一部は憂慮されていますが)


例を挙げろと言われるときりがありません。


ちょっとずれるのを承知で少しだけ触れると
歴史の教科書で習ったストーリーが短期間でどれだけ塗り替えられるか。


例えば、人類初の化石発見の著述などは何万年単位で変わっています。
オーパーツなんてものも伝えられていない。


ニュートン力学は地球の我々の世界の一部で適用できるものであり
その後の科学の成果である量子力学やシュレディンガーの猫といった
さまざまなキーワードがなぜ伝えられていないのか。


電気の直流にを説いたエジソンに対して
配信電流の交流の優位性を説いたニコラ・テスラの
名前とその功績や可能性、潰された過去は?


こういった壮大なビジョンを伝えられることも無く
生き方が現代の経済の仕組みと、実利に巻き込まれて
構築されていくとしたら??だと思いますよ。


しかも周囲はどんどん便利になっていくので
個人はひたすら効率を求められ、感性の発育はないがしろにされる。


そんな自らのを取り巻く環境が自身に与える影響も踏まえ
自らを見据えて軌道修正をしていかなければならない今後。


結構憂鬱。
いや、若者達、子供達にとって受難の時代でしょう。


また、私や大人がそれをほっぽらかしておいていいわけもありません。


今の時代にこそ私達が思い起こすべきはソクラテスの
「汝自身を知れ」ではないでしょうか。


                      TARO

























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